パナマ文書なんて日本にとっては関係のない記事だと思ってるのかな?

パナマ文書報道の記者、車爆弾で殺害か 首相は捜査約束



 欧州連合(EU)に加盟する地中海の島国マルタからの報道によると、同国で16日、政治家の腐敗告発で知られ、租税回避地をめぐる「パナマ文書」報道に加わった女性の調査報道ジャーナリスト、ダフネ・カルアナガリチアさん(53)が車を運転中に爆弾が爆発、カルアナガリチアさんは即死した。

 ムスカット首相は「我々の民主主義にとって暗い日となった」と述べ、徹底的な捜査を約束した。

 カルアナガリチアさんは中米パナマの法律事務所から流出したパナマ文書をもとに、ムスカット首相の妻らがパナマに会社を置き、アゼルバイジャン首脳に近い銀行から受け取った大金を隠していたとする疑惑を報道。ムスカット首相が潔白を主張して今年6月、前倒し総選挙に踏み切った経緯がある。

 16日夕、カルアナガリチアさんが車で自宅を出発した直後に爆弾が爆発。車は近くの畑まで吹き飛ばされたという。

 カルアナガリチアさんは複数のメディアで与野党を問わず政治家の腐敗を追及してきた。AP通信によると、ブログで疑惑を報道した野党政治家に名誉毀損(きそん)で訴訟を起こされた。(ウィーン=喜田尚)



 海外のジャーナリストはタブーに対してガンガンつきまくる。しかし日本はどうだ。企業が完全にジャーナリストをコントロールしてしまっている結果。そして自分たちの愛する者がけがされると「メディア規制がどうたら」といってくる。完全に日本のジャーナリストが骨抜きにされている証拠だ。
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煽る人が裏でいなければこんなことにはならない。任天堂とソニーと同じようなものだ

「ネトウヨ」「パヨク」の罵り合い、そろそろやめてみませんか?


 いよいよ総選挙が始まった。何を基準に候補者を選ぶのかということは人それぞれだと思うけれど、ひとつだけ私が提案したいのは、「党派から脱却してみませんか?」ということだ。

 日本はすっかり政治の時代になって、インターネットでも政治についての議論があちこちで盛り上がっている。でも、相手を「ネトウヨ」「パヨク」「安倍信者」「アベノセイダース」と罵り合っていることが少なくない。でもこういう罵り合いは、良い結果をもたらさない。

 そもそも政治というのは、「折り合い」だ。Aという主張とBという主張があって、議論する。その議論の中で、Aの人はBの人がなぜBという主張をしているのかを学び、Bを少しずつ理解する。Bの人もAの主張を学んで、理解する。さらに、AにもBにも入らないCという少数者や少数意見があることを知り、なぜそれが見過ごされていたかも学ぶ。そういう議論を踏まえた上で、現実的な結論をもたらすために多数決をする。

 多数決が民主主義なんじゃなく、多数決にいく「途中」が民主主義の本質だ。それはもちろん理想論に過ぎないんだけど、その理想に少しでも近づけようと努力したい。

「敵か味方」「白か黒か」で社会はきっと悪くなる
 さて、相手と自分たちを敵味方に分けて罵り合うような党派的な行動は、民主主義の理想の姿からはほど遠い。そもそも党派的な手法は、もとをただせば古典的なマルクス・レーニン主義の方法論だった。資本家階級と労働者階級は決して分かり合えることなどないので、資本家は徹底して叩きのめし、殲滅するしかない。そのためには党派をつくり、革命的な行動をすべきである、というわけだ。

 革命のための手法で使われたことでもわかるように、党派は「敵か味方か」「白か黒か」をはっきりさせるので、人を熱狂に駆り立てる。ゆえに人々を動員しやすく、運動は盛り上がる。

 でもこの「動員しやすさ」は同時に、デメリットにもなる。なぜなら「敵か味方か」「白か黒か」という単純な区分けで判断できるほど、社会は単純じゃないからだ。この複雑な21世紀の社会を動かしていくためには、複雑は複雑なまま駆動システムを理解する必要がある。わかりやすくすることは大切だけど、「わかりやすい=単純」ではない。

 党派の目で社会を見ると、その複雑さがわからなくなってしまう。何でも善悪二元論に落とし込んでしまい、「悪を倒せば社会が良くなる」という勧善懲悪で社会を見るようになってしまう。でも悪を倒しても、社会は良くならない。それどころか、さっき書いたような「折り合い」の議論ができなくなってしまって、社会はきっと悪くなる。

そもそも政治の目的って何だっけ?
 党派性が蔓延すると、政党もおかしくなる。自分たちを支持してくれる党派の中心的な層に向けて発言し、そういう層に評価される政策を選ぶようになるから、だんだん他の党派と距離が遠くなっていく。政党が「右」と「左」にどんどん分かれていってしまって、中間的な人たちは途方にくれることになる。

 政治家も信頼されなくなる。いまの日本の政治でよく見る光景だけど、昨日まで他の党派を激しく非難していたのが、党派を移ったり共闘した途端に、急に擁護するようになる。相手の党派の個人的な失敗(不倫とかそういうこと)は激しく非難するのに、同じ党派の仲間は同じことをしても黙認する。これじゃあ信頼されなくなっても当然だ。

 党派的になると相手党派を攻撃することにばかり夢中になって、「そもそも政治の目的って何だっけ?」ということが置き去りにされてしまう。

政治の議論にも「消極的」と「積極的」がある
 話がちょっと変わるけれど、アイザイア・バーリンっていう哲学者は、自由には「消極的自由」と「積極的自由」があるって指摘した。前者は王政への抵抗から生まれ、「支配からの自由」「圧政からの自由」といった「~からの自由」。欧州で自由主義っていうと、この考え方が多い。後者は、自分が主体的に何者かになれることを決めることができる自由。自由が重んじられすぎると、格差や貧困が広がって、自分が何かになろうと思ってもなれなくなってしまう。だからそういう自由も必要だというので、アメリカで主に使われている自由主義がこの「積極的自由」。

 自由と同じように、政治の議論にも「消極的」と「積極的」がある。「○○からの脱却」というのが消極的政治議論で、これは20世紀の終わりのころは有効だったと思う。バブル景気で政治腐敗が横行し、硬直した官僚支配や大企業の横暴が普通にあった90年代ごろまでは、「脱却」がとても大切だったのだ。

 でも、21世紀に入るころには、こういう「脱却」はひととおり済んでしまった。いま人々が求めているのは、もはや「脱却」じゃなく、脱却しすぎて不安定になっている社会に、どうやって「安定」への道筋をつけるかということだ。

 何かから脱却し、何かを否定するだけでは、もう政治は成り立たない。それだけでなく、この生活をどう安定させ、この国際情勢で日本をどう生き延びさせるのかという、建設的な姿勢が求められている。ひっくり返すのじゃなく、いまわたしたちが生きているこの貴重な日々を、どうやってこれからも積み重ねていくのかが大事だ。

 党派性は、消極的政治に引きずられてしまいがちになる。だから党派性は置いておき、積極的な政治をみんなで支えていかなければいけない。

多様性の確保こそが、リベラリズムのもうひとつの本質
 ところで先ほどのバーリンは、実は「積極的自由」も危険なのだと書いている。何に自由を求めるのかという、その目的が勝手に決められて強制されてしまうと、ファシズムや全体主義になってしまいがちなのだと指摘しているのだ。

 そうなることを避けるためには、「人にはいろんな目的があっていい」「社会にもいろんな目的があってしかるべきで、もう少しゆるやかに考えましょう」という多様性を確保することが大切だ。そしてこういう多様性の確保こそが、実はリベラリズム(自由主義)のもうひとつの本質だ。多様だからこそ、社会は良い発展を遂げられる。党派性のように一様に人々をからめとってしまうと、多様性は失われ、社会は不健全になる。

 だから党派性を脱却するためには、多様性を中心にしたリベラリズムをきちんと広めていかなければいけない。そして対話し、議論し、積極的な政治を作り、そういう政治家を支えていくこと。

 そういう視点で、今回の選挙に臨みたいと思います。

(佐々木 俊尚)



 2ちゃんねるもそうだが、ネットの裏ではこういった罵りあいといわれ、それを「馴れ合い」として楽しむ文化がはびこっている。自民党にしろネット工作員がいたり、ソニーにおいても任天堂とハード戦争をネット上で繰り広げたり、炎上することでアクセスを稼ごうとしている輩がいるのも事実だ。結局は2ちゃんねる、いや、西村博之財閥が産み落としたネットの闇が、こうして表に出てしまったのだ。

 しかしその時代背景には、今の自由に飽き飽きした若者も増えているようで、自分が信じているものを少しでもねじまげたりすると蜂の巣をつついたように騒ぎ立てる。報道の自由の行きすぎだと言い張るが、それが他人や敵だったりすると「いいぞ、もっとやれ」と、彼らのいいように利用されてしまっているのだ。2ちゃんねるによってネットが無法地帯になった証拠だ。

 5ちゃんねるがそんな西村博之財閥から抜け切れるとは考えにくい。というのも、そういった「馴れ合い」行為がこびりついているのだろうか、5ちゃんねるになっても脱2ちゃんねるは難しいだろう。いや、できないといっても過言ではない。

技術開発が遅れる理由

ちょっと注意されただけで追いかけてきてまでして車に幅寄せしたり前方を塞いで無理矢理止めさせたあげく、止めさせた車の夫婦を車の外に引きずり出し、大型トラックに轢き殺させる…… 殺人で殺されたも同然の夫婦、そして運転してたのは奥さんの方でした。

参照:東名夫婦死亡、原因引き起こした犯人は事故1か月前にも3台に進路妨害(2017.10.12 TBS)

とっても痛い、事故ではなく事件。犯人は相手に挑発されたからなんて言ってた人間のクズ。それにしても子供残して親が殺されたっていうのに、こんな事件引き起こした奴が犯罪者として逮捕されるまで4か月もかかるなんておかしすぎるよ。それまでも似たような事件起こしてるのに不起訴だったっていうし。警察もクズ。ここに書いてるとおり、子供とチャリに乗ってた私もキチガイに絡まれたことがありましたし、この程度のことで粘着して追いかけてきて、車から降りてまでこっちに向かってくる奴なんてやっぱり異常者です。その時の警察官も、相手を注意するどころか、こっちは何にもやってないのに、形式的とは言え、こっちも悪いことにさせて、お互いを謝らさせたりしてました。あの時のことは、思い出すだけでも胸クソ悪くなります。



 こういう煽り屋を撲滅するためにもハンドルのない車を早急に開発し、導入すべきだ。特に高速道路だけでもいいから自動運転を義務付けるべきだろうが。
 それができないのは水素エンジンみたく石油が売れなくなるアメリカの財閥さんがいちゃもんつけてるからか?

党のために飛行機を墜落させては、飛行機がいくらあっても足りないだろうが

衆院選を控える中で事故が起きた。沖縄の東村の米軍基地でヘリが墜落したのだ。この事故で死傷者がいなかったが、そこで私は素晴らしいことを思いついた。この事故を利用して自民党を大勝利に導くのである。つまり自民党が不利な選挙区に積極的に事故を起こして風評被害を与えるということだ。



 一人のバカのせいで自民党がけがされていく事実も伝えんといかんな。

英霊を悲しませているのは誰か、それは今に生きる帝国主義者だった

http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=504

別に戦争を賛美してるのではありません。でも私自身は、大日本帝国を肯定的に見てるし、日本人としてそういう時代があったことをとても誇らしく思ってます。ただ、「戦争反対」の人がいてもいいとは思います……が、たとえ戦争が嫌いだとしても、戦争で命を投げうって戦ってくれた英霊達に対する尊敬心を失っては絶対にならないのです。靖国で、「過った戦いで死なせて申し訳なかった」なんて謝るのと、「よくぞ国の為に戦ってくださいました。(英霊の皆様は)私たち日本人の誇りです」と言うのでは大違いなのです。そこをはき違えてはいいけません。英霊達を悲しませてはなりません!



 戦争で散った人たちはどんな想いで死んでいったのだろうか。愛する者のため…国のために散っていった人もいただろうが、決して100%ではない。中には、突然赤紙を渡され、国のために死ねと洗脳され、ハイになって散っていった人もいたわけだ。
 確かに当時の戦時技術や戦術は計り知れないものがあった。アメリカもレーダーや新兵器を開発したのだが、日本もそれに負けていなかったわけだ。

 しかし、軍があまりにもブラックすぎた。勝つ見込みがない戦争に挑み国のために死ねるかと強要し、散っていった若者たちの無念は計り知れない。上官たちはそんな兵士を横に見ながら生き延びたわけだ。

 ネット右翼と呼ばれる人たちは、英霊の生まれ変わりではなく、その上官たちだったのだろうと考えるようになった。
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Author:節信
 前のブログに続き、ニュースの話題を取り上げられたらなぁと思います。他のブログさんからネタを拾うかも?

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